一通のメール
今回の震災にて被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
被災地域が一日も早く復興することを心よりお祈り申し上げます。
故郷の九州が大きな震災に見舞われた。
連日の地震情報。家族や友人たちが暮らしている。
とにもかくにも心配である。
移住2年目になる この土地で自分は一体どうしてここにいるのだろう、という不思議な感覚になった。
今回の地震で、熊本での被災翌日に家族と一緒に 九州外に避難した人のことを考えている。
それまで築いてきたもの全てを投げ打つ瞬時の選択。
真実を語っていたように感じた。
自分の中で、長い間整理できなかったことが、急につじつまがあった気がした。
地震じゃなかったけれど、私もあの時、本能的に「生きよう」と選択をしたということ。
周りの流れに逆らうような選択をする時、罪悪感を持った。
寂しかったり、腹が立ったり、自分が間違ったことをしたのではないかと思い引き戻そうとする動き。
それは私の人生そのものの幸福とは何の関係もない幻想だということが、ずっと理解できず悶々としていた。
あの選択で得たものは、孤独の中で自分を育てることが経験であった。
変えたいなら、自らが変化するしかないのだ。
この土地の森で暮らしている。
これ以上ないほどの明るい てぃだ(太陽)がある。
それだけじゃない、深い深い悲しみがある。
その全てをあるがままに受け入れて 生きている人たちがいる。
幸いにも、この土地で、新しい命を授かり、育む機会を与えられた。
この土地には「命どぅ宝」(ぬちどうたから)という ことわざがある。
”命は宝であり、最も貴いものである”
めちゃくちゃになった(ように感じた)人生を前に、何が何でも人生を肯定していくのだという思いが、
この土地に導いてくれたのだと思えてならない。
いっけん、手放したように見えることも、大事なものは何も失ってはいない。
それどころか手放すことではっきり見えてくるものが、確かにある。
人は、どうしようもなく弱い。
人生は、いつどうなるかわからない。
そのことを心の奥深い部分でなんとか受けとめることができた時、
ただただ人生への感謝と、 えもいえない力が ふつふつと湧いてくるような気がする。
暗闇はこころを研ぎ澄ます。
そして、必ず陽はまたあたる。
震災後 一通のメールが届いた。
事実という現実がとなりの県でおこり不安が襲ってきた。
何を すればいいのか わからなかった。
熊本や大分に住んでいるお客様の顔が浮かんだ。
ただ ただ無事を祈るばかり。。。。
そんな時に届いたメールです。
とても 励まされたような気がしました。
皆様あっての自分達だという事をあらためて 痛感致しました。
まだまだ 余震が続いています。
一日も早い終息を願います。
ご心配して下さった皆様 これからも何卒宜しくお願い致します。
廻 龍二